「親子達磨 硯箱」

先代の代表作「仏衣」に続いて今日は「親子達磨 硯箱」について書きます。


先代の父が亡くなったのは私が二十歳の時でした。
6歳で修業を始めた先代に比べて、スタートの遅かった私は何も教わる事が出来ませんでした。
といっても、実は先代も自身が4歳の時に父親(先々代の初代 久慶)を亡くしています。
ですので、先代(父)は初代久慶の長兄の後藤運久(運慶法印 二七代)に就いて修行をしました。


運久(大伯父)は、類まれなる腕の持ち主で、非常に素晴らしい仕事を数多く残しています。
しかし運久は非常に仕事や私生活にも非常に厳しい人だったと聞いております。
先代(父)も修業時代に、元旦にお正月の挨拶に出向き、「年季が明ける前に正月なんかあるかっ!」と叱られたそうです。
反面、先々代(初代久慶・祖父)は歌人や俳人などにも友人が多く、沢山の人に慕われたそうです。
明治の歌人の佐佐木信綱氏にも、先代(二代久慶)が生まれた際に、歌を詠んでもらっております。
当時は住み込みの職人達も居り、職人達がいつかお前は俺たちの主人になるんだと言われ続けて育った先代(父)は自分の父親への想いも強かった事でしょう。

年季が明けたあと、「二代 久慶」を名乗ったのもそういった想いの表れだと思います。


さて、前置きが長くなりましたが、今回の「親子達磨」は、私が生まれた際に先代が彫ったそうです。
この達磨は、実は三回程、彫っており、初めは先代(二代久慶)が先々代(初代 久慶)への想いを込めて。
次は独身時代にひとりの達磨を彫りました。

病気がちだった先代は、生涯独身のつもりだったのが、縁あって母と結婚したのは人生も半ば過ぎでした。
その後、三度目に彫った時は,自分と私を照らし合わせて彫ったそうです。
物言わぬ禅問答の中に込められた、親子(師弟)の関係への想いは図らずも、「先々代と先代」、「先代と私」と重なった訳です。

先代の亡き後に、下絵だけ描かれた「親子達磨の香合」の木地が仕事場にありました。
どの様な思いで、これを彫ろうと考えたのか分かりませんが、
時々出しては眺めては、先代と「親子達磨」を前に話した会話が思い出されます。


2015.7.13


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